【ナニワ金融道】商品先物取引ですべてを失った教頭先生を笑えるか?

転がる石のように

目一杯レバレッジをかけさせられた教頭は、追い証に次ぐ追い証を求められる。

ついに学校のお金に手を付けた教頭、すでに正常な判断ができずに証拠金を失いたくないということにフォーカスしてしまう。

いうまでもなく、これは破綻するギャンブラー心理で、すべて自分の都合が良い結果を妄想している。

ここまでくれば投資ではなく投機なので、打つ手はありません。

4000万円を投資して、3900万円以上を失った教頭。

当然、自宅からも追い出された教頭は、手元にあった500万円をふところに憂さ晴らし。

ヤケになった教頭に追い打ちをかけるように、虎の子の500万円までも寝ているスキに奪われてしまう。


出典:「ナニワ金融道」第10巻

弱り目に祟り目といえばそれまでだが、初めて大金を持った教頭は、しっかりと懐にそのお金を抱きかかえていました。

しかし、大金に慣れて感覚がマヒしてしまった教頭は、見知らぬ女性の前で眠ってしまうというスキだらけの所作。

人間はどんな状況にも慣れるものである、ということの暗喩のような気がします。

死んで花実が咲くものか

すべてを失った教頭は、大量に睡眠薬を飲んで自殺を図る。

己の退職金と生命保険で4500万円にものぼる借金を返済するために。


出典:「ナニワ金融道」第10巻

間一髪、帝国金融のしらみ潰しの調査により一命を取り留めたものの、灰原も仏心から救ったのではなく、単に回収をしたかっただけという。

知り合いの銀行マンが言っていたことを思い出しました。

「何人も事業に失敗して自死した人を見てきた。決してお金のために死んではいけない、必ず解決する道がある。」

追い詰められた状態では、こんな言葉すら届かないとは思いますが。

教頭もあまりにも失ったものが大きかったと思いますが、地上げ屋の肉欲棒太郎のようにしぶとく生きてほしいものです。

まとめ

教頭先生が残してくれた教訓、それは「君子危うきに近寄らず」に集約されます。

いきなり大きな借金をして破綻するよりも、最初はほころび程度の穴からはじまる破綻の方が多い気がします。

教育者ですらファイナンシャル教育を受けていないので、誰がそれをするのか。

親が子どもにお金の真実を伝えられない限り、こうした悲劇は繰り返されると訴えているのではないか。

我慢の暮らしと、自由に生きても変わらないとすれば、どちらの人生が自分にとって良いものなのか。

おそらく青木先生は「忖度」して生きる人たちへ警鐘を鳴らしていたのでしょう。

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